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第一章 = Chapter 1
01.
第一章
−おろかもの−
 ディアは、うたた寝をしていた。
 この田舎村は、多くの田舎村のように緑色の山々に囲まれた、辺陬な地にある田舎村だ。そこに住んでいるものはほとんどが農民で、どこかの町の、どこかの人間のために、毎日せっせと畑を耕している。まだ何にも知らない小さな子供たちは、そんな大人たちを見て、「だれのためにやってるの?」と問いかけた。でもその答えはいつも同じで、「だれだっていいじゃないか」だった。そんなことを考えるのは、大きな町の学者だけなのだと信じて疑わないのだ。
 そして、ディアはうたた寝をしていた。大きな、古い、とても貫禄のある、木の根元でうたた寝をしているのだった。
 いまから八年ぐらい前のこと。ディアはそんな村から追い出された。そのときディアは、まだ五つだった。六回目の誕生日を迎える、ちょっと前のことだ。そんな小さな子供のディアを追い出すのには、いくつか理由があった。まず一つ目の理由は、「どうして月は明るいの?」で、二つ目の理由は「どうしてこの犬は鎖でつながれてるの?」、そして三つ目の理由は、「どうしてそれをやっつけるの?」だった。しかし一番大きくて、直接的な理由は、もっと違う性質のものだった。
 五つのとき、けれど六つの少し前のとき、ディアはある大きな過ちを犯した。村の人々は驚き、慌て、悲しんだ。ディアはなんてことをしたんだと、みんながみんなすぐ隣の人を罵った。そして村長が事態を沈静化するために、ディアをこの村から追い出すことに決めたのだ。そのとき反対する声はなかったし、もしあったとしても封殺されていたに違いない。いずれにしろディアは、五年と三つの季節を過ごしたこの村から出て行くことになった。
 ディアは追い出されたあと、まず奥山へと向かった。斜面になっている村は、山の中腹に存在している。村から出て行くというのは、山を下るか、上るかのどちらかだ。そしてディアは、上るほうを選んだ。まだ小さなディアにとって、山から離れるだなんて信じられないことだったのだ。
 とにかくディアは、小さな手と足をいっぱいに使って山を登っていった。奥に進むにつれて周りの木々の隙間は、やはり木々によって埋められていく。だから自然と光も少なくなった。そこは密林だった。トラやイノシシが出没しそうな場所。息の詰まるような空間。暗くて危険な山の中だ。ディアは怖くなった。村に帰りたくなった。
 そんなときだ。小さなディアの目の先に、一筋の光が見えた。周りは木々がうんざりするくらいあるのに、そこだけは開けているのだ。ディアは無我夢中でそこに飛び出していた。
 ディアの目の前に、赤くて大きな空がいっぱいに広がっていた。沁みるような緋色が空を覆いつくしている。闇と光が調和した美しい景色。夕焼けだった。遮るものはなにもなかった。その壮大な光景に、ディアはしばらく動きを失った。さきほどまでの揺れる心も、ぴたりと止まってしまったかのようだった。
 そしてディアは、そこで暮らし始めた。ディアはこの八年、この広場で暮らしているのだ。その八年の間に、ディアは成長して、身体が伸びて、多くの知恵を手に入れることになった。そして同時に、いつも決まった場所でうたた寝をすることになるのだった。
 ディアがうたた寝をしている場所を、ディアはイルの古木と呼んでいた。木の根元は涼しかった。太陽の日差しは届かないし、木の幹はひんやりとして気持ちがいいのだ。
 イルの古木を見つけたのは、今から七年前、ディアが六つのときだった。その頃にはもうディアは、この山のことを自分の庭のように感じていて、恐怖心などこれっぽっちもなかった。毎日新しいことの連続なのだ。ディアは山の住人になっていた。だから山の奥深くにあるこの古木を見つけることが出来たのだった。そしてディアはイルの古木を見つけるや否や、その存在感に息を呑んだ。周りの木々とは比べ物にならないほどの大きさだった。ディアは感動して、毎日ここへ足を運ぶようになった。うたた寝をするほどリラックスできる場所になるには、そう長い時間はかからなかった。
 だから今日も、ディアはここでうたた寝をしていた。毎日のうちの一つ、午後のお昼寝の時間だ。ディアの眠りはぐっすりと熟睡のようで、うたた寝とはいえないような眠りだった。だからディアの寝顔を妨げるものはなにもないように思えた。
 しかしそんなディアが、目をぱちりと開けた。
 伸びをして、目をこする。大きな目だ。ディアは十三歳なのに、まだ八つか九つぐらいの顔をしていた。体つきも弱々しかった。
(あれ、まだ太陽があんな高くにある)
 空を見て、ディアは思った。いくら密林の中だって、少しぐらいは空の景色を見ることができる。ディアはわずかな隙間から見える太陽を眺めて、不機嫌な顔つきになった。どうやら、いつもより早く目覚めてしまったようだった。だからディアはむっとなって、顔を横にやった。
 巨人がこちらを見ていた。
 ディアは驚いた。いくらなんでも巨人がいるだなんて、ありえない状況だった。
 巨人は大きな体を曲げて、こちらを見ていた。目がコガネムシのように光っていた。布の腰巻以外はなにも身につけていない。もじゃもじゃの胸毛が丸見えだった。
(すごい毛深いや)
 ディアは恐怖心をどこかに捨てやって、巨人をじろじろと眺めた。好奇心旺盛なのはいつものことだった。
 巨人が動いた。大きな木を、けれどイルの古木よりは小さな木の間を、豪快に割り込んできた。木がしなる音と、鳥たちの飛び立つ音が聞こえた。ディアは思わず立ち上がって、巨人の正面に回った。まるで大きな客人を出迎えるような感じだ。巨人は口ひげに覆われているおっきな口を開いた。ディアも真似をした。というより、自然に開いた。
 そして、ディアは巨人に食べられた。ぱっくりと一口。一瞬で。
 なにかがおかしい。しかし、それがなんなのかはわからない。
 でもディアはそこにいた。
 巨人はいなかった。
 ディアは食べられたのか?
(けど、ぼくはここにいる)
 そっと心の中でつぶやいた。
 下を見た。足があった。
 ちょっと上にやった。手があった。
 後ろを向いた。イルの古木があった。
 ディアは叫んだ。獣のように。そこへ向かって。
 ただ、咆哮をした。イルの古木へと。疑問をぶちまけるように。
 そして、ディアは口を閉じた。あたりは静まり返っていた。いつもとなにも変わらない森の中。ひっそりと静かな、森の中だった。
 イルの古木がディアを見つめていた。ディアも見つめ返した。けれど、なにも起こらなかった。ディアはまばたきを繰り返した。それから手のひらを見つめて、くるりと反転する。右足を一歩前に出して、そのあと左足を前に出した。ディアは歩き始めた。
(ぼくは死んだ。死んだ? ということは、ぼくはなに? もしかして、幽霊?)
 ディアは足を動かしながら考えた。いつのまにか走り出していた。
(ぼくは、ここにいる。歩いている。村へ向かっている。ということは、死んでいない。生きている!)
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