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第一章 = Chapter 1
07.
 ある夏のこと。
 ディアは五つ。キティは六つ。マッシュは八つだったときのこと。
 村では、お祭りが行われていた。五十年前からの、盛大なお祭り。村の中央広場にはこんがりと焼けたローストチキンが並べられ、それ以外の場所ではビールが撒き散らされた。通りではラッパが高らかと歌い、民族衣装を身につけた男たちが踊りを舞う。赤レンガの家々の窓からは黄色と赤と黒の旗が吊るされた。それはお酒臭い光景で、楽しさ満点の情景だった。
 そのお祭りで最大のフィナーレを飾るのが、「巨人退治の劇」だった。この劇は、子供たちが力を合わせて悪い巨人を倒す、という趣旨の劇だった。下は三つから、上は九つまでの、大小様々な子供たちが集まった。もちろんマースンおじさんの子供たちも参加した。
 その中に、ディアがいた。まだ村の異端児として、村の追放者としてのディアじゃないディアが、そこにいた。
 場面が移り変わり、そこは夜になった。松明を持った男たちがうごめき、何者かを追っている。その何者かは逃げ惑い、必死になって追跡者たちから身を隠した。ディアはそれを見つめていた。そこは山の中だった。いつもはしんと静まり返る、夜の山の中だった。しかし、いま目の前に広がるそこは、そんな生易しい場所じゃない。森の動物たちがざわめき立ち、不快な臭いがそこらに漂う、薄気味悪い場所だった。
 そして、ディアが事件を起こす。事件というよりは、ごく自然な出来事。ディアがディアである限り、それは当然の行動。スムースな展開。だから、ディアは後悔をしない。
 ディアは、ディアだった。
「どうしてもっと怒らないの?」
 何者かの声が聞こえた。意識が夜の森から、どこかあたたかな空間へと移る。
「なんでもっと叱らないの? こんなことをするなんて信じられない。ねえ、お母さん。このままでいいわけがないよ」
 だれかの声。ほのかな香りがディアの鼻にまで届いた。やわらかな心地。あまい雰囲気。
「もう十分叱っておいたわ。これ以上言っても無駄よ」
「でも!」
「キティ、そんな大声出さないの。ディアが起きちゃうでしょ?」
「あ。――でも、やっぱり納得いかない。マッシュたちはまたやるに決まってるよ」
「本当は、ディアがうちで暮らせばいいんだけどね……」
「そうよ。そうだわ! でも、だったらなんで暮らさないの? 前は一緒だったじゃない」
「村長が許してくれないのよ。あの出来事を、いまだに恨んでいるんだわ」
「そんなの!」
 そこでディアは、目を開けた。目の前の明るさに目がくらんで、まばたきをゆっくりと繰り返す。目が慣れてきて、ようやくそこがどこであるかがわかってきた。
 目線の先に、頑丈そうな木の梁がある。梁の周りはレンガがびっしりで、天窓からは光が差し込んでいた。今にも落っこちてきそうで、けれども落っこちてこない、久しぶりに見たタイプの天井だった。
 そのあと、身体を動かそうと肩に力を入れる。途端に、右腕に鋭い痛みが走った。ディアはうめき声を上げた。
「ディア?」
 キティの声。ディアは顔だけそちらに向けた。やっぱりキティだった。今日は花柄のバンダナをつけていないようだ。その横にはポーラおばさんもいる。ディアは再びまばたきを繰り返した。
「目が覚めたのね?」
 キティがこちらに駆け寄ってきた。レンガ張りの床がぱたぱたと音をたてる。ディアは混乱していた。けれども、首を動かすことはできた。そばかす顔のキティを見上げて、うなずいた。
「ああ、よかった。大丈夫? 痛みはない?」
 ディアはもう一度うなずいて、慎重に口を動かした。
「でも、ぼく、なんでここに?」
「そんなのいいから、ゆっくり寝てなさい」
「キティ、教えてよ」
 彼女は困った顔をして、後ろにいるポーラおばさんに視線を移した。
 おばさんがうなずいた。
「お母さんはお父さんを呼んでくるから、キティはディアに説明しておやんなさいな」
 それからおばさんは、踵をかえして部屋から出て行ってしまった。キティは吐息をついて、ディアに向き直った。ディアは小さく笑って、身体を動かそうとした。でもうまくいかなかった。力が入らないのだ。
「あのさ」ディアがキティにいった。「ちょっと、起こすの手伝ってくれないかな」
 キティはもう一度吐息をついたが、結局手伝ってくれた。身体を起こすと、正面にレンガの壁が見えた。首をまわして、コリをほぐす。
「それで」とディアはキティに目を向けた。「ぼくはどうしてここに?」
「わたしとお父さんが運んだのよ」キティはディアの視線から逃げて、手をもじもじさせた。「あのね、マッシュがあなたを落とし穴に突き落としたの」
「それは……覚えてる。一応」
 キティは戸惑った表情をして、頭を下げた。
「ごめんね。まさか、落とし穴を作ってただなんて」
「ううん、いいよ。そんなことよりも、どうやってそれに気がついたの? マッシュたちが白状したとは思えないんだけど」
「えっとね、マッシュたちが家に帰ってきたとき、ちょっと様子がおかしかったの。お母さんが問い詰めてみても、何も答えないし。だからお父さんとわたしが、マッシュの秘密基地へ行ってみることにしたの」
(秘密基地なのに、秘密じゃないんだな)とディアは復活しかかっている頭の中で考えた。
「それで、あなたを見つけた。そのあとは、ディアを家に運んで、手当てをしたわ。その右腕の骨、折れてたのよ」
 ディアはキティから自分の右腕へと目を動かした。けど白いシーツで見えなかった。左手でどかしてみると、包帯でぐるぐるに巻かれた右腕が見つかった。
「骨はお父さんがつなぎ合わせておいたから安心して」
 左手で触れてみると、添え木らしきものがあるとわかった。ディアはうなずいた。
「ありがとう、キティ」
「なにいってるの、ディア」キティはいった。「マッシュがあんなことをしたんだから、わたしたちが手当てするのは当たり前でしょ? それに、わたしは何もできなかったし」
「ううん、キティ。それは違うよ。ぼく、キティにはすごく感謝してるんだ」
「もう、ディア。からかうのはやめて」
「本当さ。いつもぼくが行くと遊んでくれるし、昨日はおいしいバームクーンを焼いてくれた」ディアはそこで一つ置いた。「なにより、こうしてぼくのそばについていてくれるじゃないか」
「……うん」キティがためらいがちにうなずいた。「……ありがとう。ディア」
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